こんにちは、PRATER編集部です。
今回のインタビューは、業界大手の美容メーカー ビューティーエクスペリエンス社の営業マン、そして筋肉美容家として二足のわらじを履く浅田 昌也さんに密着取材!
営業マンとしての今までの自分、そしてこれからの自分のビジョンを教えていただきました。浅田さんは、東京エリアの支店長というとても忙しい役職にも関わらず、筋肉美容家としての活動もされているというとてもフレキシブルな方。
その気になるライフワークをたっぷりと聞いちゃいました!
筋肉美容家 浅田昌也さんってどんな人?


北海道札幌市生まれ、大学まで地元札幌市で過ごしていました。
小学校4年生から双子の兄とサッカーを始め、本格的にプロを目指すようになりサッカーの強豪学校へ通うため家族で移住したんですよ。
高校はサッカーの名門「北海道大谷室蘭高校」へ入学して、高校で下宿生活を開始しました。大学も札幌で、4年間サッカー中心の生活でプロを目指していました。
共にサッカーをしていた双子の兄とは大学で初めて離れました。それまでは勉強、サッカーなど比べられることが多くて、比較されることが嫌に感じていて。
双子の兄とは喧嘩もたくさんしていましたが、大好きで良好な関係ですよ。
メーカー営業マンになった理由とそのエピソード

現在、お勤めのメーカーの暦も長いとお聞きしましたが、なぜメーカー営業マンになられたのでしょうか?
また、その仕事の中で印象的なエピソードなどありますか?

大学卒業後は北海道でディーラーに就職し、その時期に「オシャレ」「モテそう」とか輝いて見える「メーカー営業マン」に大変魅力を感じるようになリました。
24歳の頃、現在勤めている会社の大阪支社に配属が決まり、29歳まで大阪で過ごしました。当時はボストンバック2つだけを持ってレオパレスで生活していたのですが本当身軽でしたね!
20代は何事にもがむしゃらで取引先の美容師に喜んでもらえることを何かしら考えて、たどり着いた先が「合コン」。昔から誰とでも壁を作らず仲を深めることができたので女性の友人も多かったそう。
一緒にお酒を交わし、まずは喜んでもらうこと。そして交友関係を深めること、信頼関係を深めることで仕事に繋がることも多かったという浅田さん。

そんな中でも辛いな、苦しいなと思うことも多々ありましたね。当時は体育会系の会社だったので納得できないことや、腑に落ちないことも多かったです。
それらを乗り越えることができたのは周りの人の支えであり、取引先である美容師の支えが大きかった。同期と励まし合い、取引先のお客様の喜ぶ姿や嬉しそうな笑顔を見ることで乗り切ることができました。
また浅田さんは自分の中でのポリシーがあり「1度決めたらやり通す」をモットーに仕事に取り組んできたという。途中で諦めることなく逃げることもなく、ひたすら前を向きながら懸命に取り組む姿勢を大切にしてきたからこそ今の彼がいるのだろう。