【インタビュー】モテ髪師 大悟さんの知られざる苦悩から成功までのステップ

こんにちは、PRATER編集部です。

今回は、業界内外問わず有名でご活躍をされている「モテ髪師 大悟」こと義永大悟さんにインタビューをさせていただきました。

山口県出身。現在は福岡を中心に美容室「PEACE」を九州エリア・大阪、そして東京 表参道で展開している大悟さん。独自の診断と経験から作りあげる「モテ髪」を求め、全国から予約が殺到! 今、もっとも予約の取りづらい美容師として話題を呼んでいます。

明るい笑顔と巧みな話術を兼ね備え、お客様の心を掴むそんなモテ髪師大悟さんの知られざる苦悩からモテ髪師誕生、そして成功までのステップまでの秘話を大公開しちゃいます!

モテ髪師 大悟、スタートは理容師だった!?

山口県出身。福岡の美容専門学校を卒業後、横浜のユニセックスサロンにて理容師としてスタートした大悟さん。その後わずか3ヶ月で退職をすることに。

心機一転福岡で美容師を志すことになりました。もともとお父さまの反対を押し切って目指し始めた美容師。自分のなかで2つのルールを設定して動き出した大悟さん。

それは「スポンジの心」「楽しくないなら楽しくなるように動く」という2つ。このルールをもとに福岡にて新たに美容師としての再出発を果たすことになった。

多額の借金と昼夜のハードワーク

福岡で新たに美容師として再出発を果たした大悟さん。わずか2年でスタイリストデビューを果たし、その後23歳という年齢でサロンの店長に大抜擢されることに。

そして28歳を迎える頃に独立。しかし、ここからがかなりハードモードな美容人生の火蓋が切って落とされる……。

その当時では珍しくカフェと美容サロンを複合させた店舗を共同設立したものの、業績に伸び悩みあえなく倒産。多額の借金を背負うことになり、返済に負われる毎日でした。昼間は福岡の先輩美容師のサロンにてフリーランスとして勤務し、夜はゲーム喫茶でアルバイトに追われる日々。

24時間という長時間働く日も多かったという。

しかし昼夜問わないハードワークの甲斐もあり、30歳の頃、なんとか貯めた手持ちの200万円を運転資金に、マンションの1室を借りて現在のサロン「PEACE」を誕生させることとなりました。

サロン名の由来は、当時トレードマークである「笑顔」と「モテ女子が使う さしすせそ」、そして誰もが耳慣れしている単語というところをイメージし「PEACE」という店名が生まれたそう。

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